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黒字経営で会社を成長・永続させる成功講座について語ります 【http://www.zeirisi.info】
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 昨日のMLBでのイチローの活躍はすごかったですね! 3打数3安打2打点。 おまけに史上初のランニングホームラン。 そして、日本人初のMLBのMVP。 いつも冷静なイチローも昨日はさすがに興奮してました(;´▽`A`` 実は、私誕生日がイチローと全く一緒なんです。 1973年10月22日の天秤座。 確か血液型と年収は違ったような・・・ 彼は、本当に地道にコツコツとストイックに努力しています。 占いによると、ここ数年間は今までの停滞期から発展期に推移する時期だとか。 同じ生年月日の彼がこんなに頑張っているのだから、負けずに頑張ります(^-^)/ PR その当時できることを考えられることをそのときはひたすら行っていました。 自分でチラシを作成し事務所半径5Kmにある会社にポスティングしたこともありました。 しかし、1件も反応なし(>_<) 自らの存在をアピールするために、趣味で作成したHPのノウハウを基に事務所のHPの自分で作成しました。 今はそのHPはありませんが、HPソフトをそのまま加工したような拙いものでしたが、そのHPのお陰で3件ほどお客さんが増えましたo(^-^)o あと、税理士事務所にお客さんを紹介する会社にも登録し、そこからもいくつか紹介を受けました。 自らも交流会や人が集まるところに率先して出向き、アピールもしました。 そんなことをして半年ほど経った頃に、何とか事務所等の固定費ぐらいは賄えるほどの状態になりました。 そこでまず行ったことは、事務所探しです。 開業当初、自宅の1部を事務所にしていたのですが、お客さんを呼ぶこともできないし、仕事とプライベートのONとOFFの切り替えが難しいことがありました。 そんな理由で外に事務所が欲しいと考えていました。 事務所の場所は、地元の中野かなぜか六本木。 六本木なんて何回かしかいったことがなかったのですが、六本木ヒルズができ東京ミッドタウンか建設中。 この都市はこれから伸びる。 そんな考えから六本木で事務所を探していました。 その当時、中野も六本木もそんなに坪単価は変わりませんでした。 それなら、六本木で、と六本木中心で事務所を探し始めました。 そして、今の事務所を見つけたのでした。 この事務所は、築年数のわりにはきれいで交通の便もよく眺めも最高で、本当によかったと思っています。 この引越しをしたのが、独立した翌年の6月。 開業して9ヶ月目でした。 -つづく- 昨日のブログに書いたように最初から税理士を目指していたので、一般企業に就職するつもりは最初からなく、専門学校に通った後、そのまま会計事務所に勤めました。 そこでも、早く知識と経験を積んで独立しようと最初から考えていました。 いきなり上場企業の担当をさせられたこともありました。 いきなり英文会計をやらされたこともありました。 それでも、その当時からこんないろんな経験できるなんて幸せだ。ラッキーだ~と思っていました。 2ヶ所の会計事務所で合計5年ほど働いた後、開業をしました。 そのときの年齢は30歳。 税理士業界の平均年齢が60歳を超えている状況では、とてつもなく若い年齢でした。 しかし、その頃独立してもやっていけるという知識と経験の自信はありました。 お客さんは、その時1件だけ。 それでも、会ってもらえば契約してもらえる、そんな自信もありました。 しかし、世の中そんなに甘くありません。 いくら税理士としての知識に自信があっても、開業したての若造なんて誰も知りませんし、相手にしません。 それから数ヶ月はお客さんは増えませんでした。 その間に結婚。 最悪、コンビニで働きながらでも生活していくつもりでした。 -つづく- なぜ、私が税理士を目指したのか? 取材を受ける中で、必ず聞かれる質問です。 取材記事を見ていただければ書いてあるのですが、理由は次の通りです。 私が税理士を目指したのは、高校に入ってすぐです。 その当時、日本はバブルの真っ只中で大手企業や証券会社に入れば一生安泰という時代でした。 そんな当時に、わざわざ事業家を目指したのは、会社に縛られ上司の言うことを聞くだけの仕事はしたくない。 人生思い通りに楽しくやったほうがいいじゃないかという考えからでした。 もちろんリスクもあります。 ただ、自分が頑張れば頑張っただけ自分に返ってきます。 自分が怠ければそれも自分に返ってきます。 そんな、壁打ちみたいなストレートな反応が面白そう。 そんな考えでした。 私の父は会社経営をしていましたが、その当時からその会社を継ぐつもりはなく、自分で起業すると決めていました。 その当時は、今ほど起業することを世間は認めていませんでした。 そこで、手に職をつけてそれを武器に世の中に出て行こう、そんな想いから専門家を選択しました。 そして、会社の相談や手伝いをすることができるという仕事内容と数字を見るのは苦ではないということから、税理士に決めました。 あと、父が経営者をしていて、周りにサポートする人がいなかった状況を見ていて、自分が少しでも役に立ちたいという思いもあったのかもしれません。 こんなことから、15歳にして税理士として起業すると決めたのでした。
-つづく-
税理士業界では現在有名な訴訟に「武富士事件」というものがあります。 簡単に説明しますと。 武富士の元会長の長男に対して武富士株を大量に保有するオランダ法人株(約1653億円)を生前贈与しました。 当時、海外居住者に対して海外財産を贈与したものについては日本では課税対象外となっていたため、その長男は贈与税の申告を行いませんでした。 しかし、国税当局は、この長男は租税回避のために移住した形を取っていただけで、実際は日本居住者であるため、申告漏れであるとして無申告加算税を含め1330億円の追徴課税を行いました。 この金額は贈与税では史上最高額です。 これについて裁判で争っているのですが、1審では「この長男は当時武富士の香港支社長として役職についており、贈与税回避のためだけに香港に滞在していたと認定するのは困難である」として、国税当局の主張を退け追徴課税分を全額取り消しました。 この判決が最終的に通ると、1330億円に対する還付加算金が、この長男に支払われることになります。 これは、日本史上最高額の還付加算金で、財源は税金です。 この事件のあとすぐに、贈与税法は過去5年以内に日本に居住していた実態のあるものは海外財産に対しても課税すると改正されました。 しかし、それは事件のあとなのでこの事件には遡及できません。 おそらく、この追徴加算税は取り消しになるでしょう。 少し浅はかな気がします。(´д`lll) |
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